一昨日、10月10日はおばあちゃんの命日。
そして誕生日でもありました。
私が産まれた時にはおばあちゃんひとりだけだったので
わたしの唯一のおばあちゃんです。
スーパーミラクルおばあちゃん。
といっても過言じゃないほど、すごい人。
人柄もユニークで、ひとつひとつの印象的な発言が
いまでも鮮明に蘇ります。
カブにのっていて
いつも目をつむって運転していると言っていました。
(たまに見かけることもあったのですが、本当に目をつむっているように
みえてとても怖いです。)
ゲームセンターが好きで、よくUFOキャッチャーや
お菓子を救うゲーム機で何かをとっては
持って帰って来てくれたり___
ミスタードーナツも好きでよくポイントを集めては
食器やきんちゃく袋などもらっていました。
そんなおばあちゃんの日常も一緒にいるだけで
楽しいのですが、すごいと言ったのは、
亡くなった時のことです。
88歳の誕生日。
ガンで、もう余命数ヶ月と宣告をされていましたが
前日も気は確かで、きちんとお手洗いにも行けるし
ご飯も食べられる状態でした。
誕生日はせっかくだからみんなでお祝いをしよう
と親戚一同集まり、病院のふれあいルームを借りて
誕生日会の飾りつけをし、おばあちゃんが大好きなスイカを
用意してスタンバイ。
看護士さんもみんな、寄せ書きをしてくれて__
そろそろ始まるというときに
おばあちゃんの様態が急変。
それでも皆に会いにいくということでベッドで横になりながら
皆の待つふれあいルームに。
記念にみんなで写真を一枚撮りました。
おばあちゃんの一生を表すような一枚になりました。
そしてそのあと、スイカを入刀することは出来ませんでしたが
ひとりずつ、おばあちゃんと話す時間をつくったのです。
おばあちゃんはひとりずつにお年玉を用意していました。
私もこれがおばあちゃんと最期の会話なんだと
自然と気づいていました。
「いままでありがとうね。」
しっかりと最期のあいさつが出来たのです。
私だけじゃなく、親族みんな
ひとりずつ。
おばあちゃんはこのあとすぐ、昏睡状態となりました。
一度みていられず帰った私のお父さん。
脈が落ちてきたのを聞き引き戻すことに。
そしてまた、
父が戻るまでおばあちゃんはしっかり待っていました。
私がお手洗いに行っている数分のときに__
23時30ごろに息をひきとりました。
それが88歳の誕生日。
なんて人なんだろう、と
さいごの最期まで、、自分の意志で生きていました。
病気を伴いながらもこんなにも
たくましく生きるおばあちゃんに、私はもう感無量でした。
おばあちゃんはとっても幸せにこの世を去りました。
すごく、すごく幸せだったに違いありません。
長文読んでくださりありがとうございます。
どうかスーパーミラクルおばあちゃんが
いまも安らかにいられますように。
いつも見守っていてくれて、
ありがとう。私は、元気に生きているよ!
フリーランスウェディングプランナー
リアンマリアージュ
Lian Mariage